「人生フルーツ」を観賞して。

こんにちは。ちょこりあんです。

 

先日、素晴らしい映画を観賞しました。

人生フルーツ」。ドキュメンタリーです。

なにやらアンコール上映ということで、とても反響があったみたい。

 

むかし、ある建築家が言いました。家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。
愛知県の春日井市にある高蔵寺ニュータウンに暮らす津端修一さん90歳と、妻の英子さん87歳。
ふたりが暮らすのは、建築家である修一さんが建てた平屋。庭に育つ100種類以上もの四季折々の野菜や果実は、妻・英子さんの手で美味しいごちそうにかわります。50年間ていねいに、コツコツと、時をためてきた二人の暮らしがここにあります。
 
 

とても印象的だったのが、津端さんご夫妻のおだやかな顔。

自分たちには何が必要で、何が不要か。ゆるぎない信念を静かに持っているような表情でした。

そして、何でも広く包み込むような心。達観した考え方。

 

お二人とも「譲れない考え」があるというより、すべてを受け入れたうえで、それを心地のいい、とても安心できる暖かくまろやかなハチミツのような何かで「譲りあえる考え」に変換するようにしているのではと思いました。

いや、「している」という強制的な行動ではなく、呼吸するのと同じ感覚でそうなっているんです。

 

それは、ご夫妻が重ねてきた年月の中で作られた、素晴らしくうらやましい変換方法だと思います。わたしも早くそんなふうになりたい。


ふと疑問に思ったことがあります。

「農業をしたら私も考え方を変えられるの?」ということ(笑)

包み込むような思考ができる人って、土に触れる機会がある人に多い気がする。

種から植物を育てるって、特別なことに思えるんです。

人は大昔からそれを当たり前のようにしてきたけど、今はそうじゃない。

土に触れるなんて、めったにない。今日だって一度も触れてない。

 

電波に囲まれて、きれいな空気を吸えてないことにも気付かず、心が満たされない毎日を過ごすことが当たり前になっている現代。

視野も心も狭くなるのは当然。

 

だから、土に触れるって、想像以上に大切なのかも知れません。

 

私はいつも心がざわざわしています。

それがとてもイヤです。

だからこの疑問が浮かんできました。

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